
バルセロナ退団が報道されているウスマン・デンベレ。
彼のサッカーセンスはピカイチですが、その背景には母親であるファティマタさんの存在が大きく影響しています。2017年にバルセロナへ活躍したデンベレ選手ですが、実はバルセロナからは2度目のオファーでした。
バルセロナでプレーすることを夢見ていたデンベレがなぜ1度目は移籍オファーを断ったのか。
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天才ウスマン・デンベレの経歴
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国籍 | フランス/モーリタニア |
生年月日 | 1997年5月15日(24歳) |
出身地 | ヴェルノン |
身長 | 178cm |
在籍チーム | FCバルセロナ |
ポジション | FW |
背番号 | 11 |
利き足 | 両足 |
経歴 | 2014-2015 スタッド・レンヌ Ⅱ 2015-2016 スタッド・レンヌ 2016-2017 ドルトムント 2017- FCバルセロナ |
両足利きで変則的なドリブルと爆発的なスピードが武器であり、メッシも一目置く天才。2020-21シーズンは、30試合に出場し6ゴール、3アシストの結果を残しています。
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2017年にドルトムントからバルセロナへは、約136億5,000万円というネイマールに次ぐ金額で移籍し年俸は約12億円+ボーナス。
バルセロナへの移籍の際にも、ドルトムントの練習をボイコットしたり住んでいた家のオーナーから裁判を提訴されるなど強行な手段を取ってしまったことで問題を起こしていました。
しかし、それもバルセロナ愛により起こしてしまったことでした。
ウスマン・デンベレを支え続けた献身的な母がとった大きな決断
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ウスマン・デンベレは4人兄弟の長男(2人妹と1人の弟)で、アフリカのモーリタニア出身です。
モーリタニアは30年ほど前までは最も貧しい国であり、多くの人たちがヨーロッパへ移住をしました。デンベレ家族も2007年により良い生活を求めてフランスへ移りました。
父親が家を出てしまい、母親であるファティマタさんが一人で4人の子どもたちを育てなければなりませんでした。それでも息子がスターになると信じ続けて、息子のデンベレを常にサポートし続けました。
15歳の頃バルセロナのオファーを断った母親の賢明な決断
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デンベレが15歳のころ、バルセロナや他のビッククラブからも多くのオファーが届いたようです。しかし、デンベレの代理人として活動していたファティマタさんはそれまでいたスタッドレンヌにいることを決断しました。
この決断が功を奏し、2015-16シーズンのスタッドレンヌでは26リーグ1試合で12ゴールを決める大活躍を見せたことでブンデスリーガのビッククラブのドルトムントへ約20億円で移籍しました。
代理人であり母であるファティマタさんの目先の利益だけではなく、先々まで見据える慧眼の持ち主であると言えるでしょう。
しかし、その期待に応えようとしたデンベレの姿勢には胸に響くものがありますね。
バルセロナ退団が報道され母親の胸中は
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これまでは代理人としても母親としても、デンベレをフォローしてきたファティマタさんの意見を最近では聞かなくなってしまったとの報道がされています。
それはずっと夢にまで見ていた「バルセロナ」への切符を1度目は母親によって奪われてしまったわだかまりがずっと残っていたのかもしれません。「バルセロナからの誘いを2度断るサッカー選手がいるか?」コメントからもバルセロナへ強い思いが伝わってきます。
最近の日本人への人種差別的な発言で、女手一つで育ててきたファティマタさんはどう思っているのでしょう。
デンベレを15歳から知るサッカー関係者は「彼は規律のある穏やかな子供で、フィールドの外ではあまり話さず、まるでボールを持ったギタリストのようです。」と語っています。
彼が引き続きバルセロナっで活躍する姿を見たい。
【参考】